MAGAZINE
Do it Magazine車はタイの首都であるバンコクから北東に450kmほど進んだとこにあるマハーサーラカームという街を目指している。日本で我々が使ってるのよりも一回り大きな日本製のバンには、タイツアーに帯同してくれているドラマーMooと、PAのBall、そしてマネージャーのProwとその友人が乗っている。
我々は初の海外ライブとなるタイツアーの真っ只中で、過ぎゆく車窓を眺めながら、日本出国直前に観た『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』のことを思い出していた。映画の中で、ティモシー・シャラメ演じるボブ・ディランは、そこら中で演奏しては、一通り談笑し、タバコを吸い、バイクに乗る。映画の肝となったニューポート・フォーク・フェスティバルが行われたニューポートは、ディランが当時住んでいたニューヨークから北東に4000km程。冷房を念入りにつけなければ、車で移動することもおぼつかないタイの気候とはまるで違うだろうが、車窓に流れるタイの風景を観ながら、映画のことを考えていた。
映画の監督はジェームズ・マンゴールド。60年代のフォードとフェラーリの覇権争いを描いた『フォードvsフェラーリ』を観てから大好きになった監督だ。
ドキュメンタリー映画ではあるけど、映画全体を貫いているのは、70年代アメリカ映画のような酒とタバコ、そしてバイクのような退廃的なモチーフ、それでいてそこから溢れ出る譲れない浪漫のようなもの。ボブ・ディランに関して、同時代を生きたファンではない私が観ても、映画を観ればより一層、彼の音楽、そして人間性に対する興味が湧く。中でも、それを具現化するティモシー・シャラメの演技は圧巻だった。彼の歌唱シーンは全て本人の歌唱で録られているらしい。どれもが素晴らしく、とてつもない拘りと意地のようなものを感じた。
我々の話に戻るが、こうして見知らぬ土地を車で周り、演奏することは大学の時からの夢だった。
そもそもなぜタイにライブで来ることになったかというと、去年の夏友人とタイに旅行に行ったことがきっかけだ。何の予定も決めずにふらっと旅行に行ったつもりだったが、ひょんなことからタイのミュージシャンたちと出会い、ギターを借り、弾き語りでライブに混ぜてもらうことになった。そこで、橋渡しをしてくれたのが、今タイでマネージャーのような役割をしてくれているProwだ。彼女は英語とタイ語を話せるので、タイのミュージシャンへの橋渡しをしてくれる。車に同乗しているPA Ballはその旅行の際に良いPAだと言って彼女が紹介してくれた。ドラマーのMooは、会うのこそ今回が初めてだが、その時ギターを貸してくれたタイのミュージシャンが紹介してくれた凄腕のドラマーだ。
タイの人たちに世話になるにつけ、「今度はバンドで来るよ」と約束するにつけ、必ずここにバンドのライブで戻ってきたいという思いが強くなっていった。とにかくあの熱気の中に戻りたかった。弾き語りは野外のステージだったけれど、演奏する頃には丁度サンセットで、それが未だに脳裏に焼きついている。タイの観客の真剣な眼差しや、ミュージシャンと交わした冗談、打ち上げで飲んだビール、そのどれもが特別で、ただ、観光に向かったつもりが、行く時よりも大きなものを日本に持ち帰ることになった。
そして、念願叶いタイでのライブにやってきた。朝とても早かったのにも関わらず、興奮して全く寝れなかった私は、イヤホンでThe Bandの『The Weight』を聴いていた。映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』のディラン同じく、バイクで旅する二人のヒッピーの映画『イージー・ライダー』の中で流れる曲だ。この曲が収録されたシングルのB面に入っている『I Shall Be Released』はボブ・ディランが作詞作曲したことでも知られる。車の中は皆眠りについていた。
大学の頃は「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれる映画群の虜になっていた。60年代後半から70年代に渡ってアメリカで撮られた映画の総称で、先述した『イージー・ライダー』や、『タクシードライバー』といった映画達がそれにあたる。『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』の撮影にあたっても、マンゴールドは60年代のような質感を出すことを非常に意識したらしく、「PRODUCTION NOTE」内、レンズの選定の話の中で、『フレンチ・コネクション』や、『さらば冬のかもめ』といった映画の名前が挙がっていた。
「アメリカン・ニューシネマ」を観て以降、その中でしきりに観られる「流浪」という行為に憧れを抱いていた。主人公は、いわゆる勧善懲悪的な価値観(時に社会規範)や、観客にとって容易に終わりが想像できる「ハッピーエンド」を退け、未開の地へと旅することを決意する。あらゆる社会的責任を放棄して、ひとりきり、時には2人で社会から逃走する様は、ラディカルで、当時の私にとって大変クールに映ったものだった。
一年前、タイに1人で旅行をした時、タイのミュージシャンから「partner in crime」という英語表現を教わった。あなたのバンドメンバーって「partner in crime」なんじゃない?って急に言われて、戸惑ったけど、尋ねてみると、「共犯者」のような意味から転じて、非常に親しい友達のことを指す表現らしい。まさしく、「アメリカン・ニューシネマ」の『俺たちに明日はない』のボニーとクライドなんかを思い出すけど、同じ責任を分け合って、この地に浪漫を感じて、演奏するために、ここまでやってきたメンバーのことをまさしくそんな気持ちで思う。
大それたものがあってここに来たわけではない。結局のところただ、あの夕陽をもう一度観たかったことと、タイの人たちの前で自分たちの音楽を演奏したかった。それだけだ。
それだけのことが私の憧れで、心の奥底に流れていた浪漫で、まさしく「流浪」である。私だけの憧れは色んな人を巻き込みながら、バンはマハーサーラカームにあるライブハウスMAHANIYOMへと向かっている。1000人収容する屋外ステージと、並べられたどデカいビール缶。そこに周辺に住む若者達が集まって、酒を交わしながらバンドの演奏を聴くという。言葉だけでは全く想像がつかないことが待っているんだろう。ディランの歌詞を借りれば、答えは風の中にあり、誰も予想すらできない。
映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』は、ボブ・ディランがニューヨークにやってきて、入院中のウディ・ガスリーの元を訪れるところから始まる。ギター一本を手に、歌を歌うためにNYにやってきたディランのバックグラウンドは描かれない。その瞬間、彼が何を考えているのかも明かされず、まともに話すシーンさえほとんどない。けれど、このマハーサーラカーム行きのバンの中で、ディランがどんな気持ちだったか少し分かるような気がした。誰も自分のことを知らないニューヨークに飛び込んでいく。その「流浪」の始まりには、自分の音楽への信頼と、ここから始まる全てに対する覚悟のようなものがあったんじゃないかと思う。映画の中で描かれるディランの、達観して皮肉めいたようで熱意に満ちた姿、そして演奏の直後にスッと次の場所へと1人バイクで居なくなる姿がフラッシュバックする。今やっていることを肯定されている気持ちになる。
車は緩やかに速度を落とし、サービスエリアに向かおうとしている。周りのメンバーやスタッフが目を覚ましてきた。みんな、長旅と慣れない早起きで、とても眠そうだ。本当にありがとう。
同じ浪漫を分かち合える仲間がいることに心から感謝している。
p.s. タイツアーでお世話になったドラマーMooが、何日間か日本にやってくるとのことで、5月10日にサポートドラマーMooと一緒に下北沢でライブをやります。宜しければ是非お越しを。
2025年5月10日(土)
「Thank you for your support, Moo!」
at 下北沢Retronym
open / start 18:30
-Live-
Panorama Panama Town
-DJ-
SPOT
(story)
1960年代初頭、後世に大きな影響を与えたニューヨークの音楽シーンを舞台に、19歳だったミネソタ出身の一人の無名ミュージシャン、ボブ・ディラン(ティモシー・シャラメ)が、フォーク・シンガーとしてコンサートホールやチャートの寵児となり、彼の歌と神秘性が世界的なセンセーションを巻き起こしつつ、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでの画期的なエレクトリック・ロックンロール・パフォーマンスで頂点を極めるまでを描く。
監督:ジェームズ・マンゴールド『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』『フォード vs フェラーリ』
出演:ティモシー・シャラメ、エドワード・ノートン、エル・ファニング、モニカ・バルバロ、ボイド・ホルブルック、ダン・フォグラー、ノーバート・レオ・バッツ、スクート・マクネイリー
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
北米公開:2024年12月25日
原題:A COMPLETE UNKNOWN
コピーライト:©2024 Searchlight Pictures.
Instagram:@buubuu_ppt
X:@perrrrbuwa
web:https://panoramapanamatown.jp/