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Do it MagazineDo it Theaterが今気になるシアターカルチャーをクローズアップしてお届けする[Do it Close-up]。 今回は、映画『HAPPYEND』(2024年10月4日(金)公開)の脚本・監督を務めた空音央監督にインタビュー。「日常では思いもしなかった出来事が本当に起こるし、それが人生なんじゃないかな」と話す空音央監督に、作中で様々な境遇を持ち合わせていたキャラクターたちの描き方と、映画とユーモアについてお伺いしました。
2024年10月4日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開
01インタビュー
――繊細な物語でありつつも、映し出し方に潔さを感じました。意図して撮影されていたのでしょうか?
特別にピックアップしたり、ドラマティックに描いたりするわけではなく、いろんな人種がいることや、多様性のある社会を当たり前に描くということはすごく意識していました。日本には今もいろんな国籍や人種の方々が生活しているし、そもそも僕は日本人というもの自体がフィクションで、定義すらできないのではないかと思っているので。それが潔さに繋がっているのかはわかりませんが(笑)。
――ポスタービジュアルのシーンもですが、ロケーションもこだわりを感じました。
学校でのシーンが映画の80%くらいを占める作品なので、まずは学校から探していきました。なかなか見つからず難航していたのですが、最終的に夏休み期間に撮影させていただいた神戸にある神戸市立科学技術高等学校と神戸市立神戸工科高等学校には本当に感謝しかないです。
その他のロケーションは、学校を拠点に探していきました。学校を一緒に探してくださった神戸フィルムオフィスというフィルムコミッションの人たちが本当に素晴らしくて、ポスターのシーンや楽器屋のシーンは大阪ですが、他はほぼ全て神戸で撮影しています。
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――個人的に、映画の中で同じ場所が何度か出てくる作品が好きなので、この分かれ道は物語の時期設定も重なり印象深かったです。
僕はあまり象徴的すぎる場所はそんなに好きじゃないはずなのに、ここ(ポスターのシーン)は象徴的ですよね(笑)。どちらかというと、本当は象徴より具体の方が好きなはずなんですけど。
――本作の「ありえるかもしれない未来」の設定は、監督が普段見ている世界が反映されているのでしょうか?
おっしゃるとおり、自分の世界の見方や脳内が反映されています。普段から、見えにくい世界の構造や歴史の流れに興味があって、日本の植民地主義の歴史や、それがどのように資本主義と関わってきているのか、そして現在の新自由主義的な公共空間のなさとかについて、よく考えているんです。
――気になります。
構想をし始めたのは2016年頃でしたが、その頃の日本ではまだ差別や偏見がヘイトスピーチという形で噴出していた。関東大震災朝鮮人虐殺などの歴史的事件を調べていった時に、本当の意味で新植民地主義を顧みていない傾向がすごく強く現れていたように感じます。
近い将来、日本では必ず地震が起こると言われていますが、そういった差別や偏見を反省しないまま地震が起きてしまったら、また虐殺のようなことが起こってしまうのではという危機感があったんです。その危機感から生まれたものが、映画の構想の1つになっています。これまでずっと映画の勉強をして、制作に関わってきたので、自分の表現は映画だし、いつか長編映画を作りたいと思っていたところもありましたが。
――その構想が連なっていき、本作へと繋がっていったんですね。
はい。そしてその頃、僕の政治性の芽生えとともに、大学時代に築いてきた友情関係が崩れてしまうようなこともありまして。それぞれの政治性が進んでいくとともに、誰かを突き放したり切り離されたりすることが起こって、とても辛い気持ちになったんです。当時考えていた構想と、友情関係で起こったことが抑えきれず溢れ出て、映画になっていったところもあります。
――キャラクターがみんな魅力的で、あの年代特有の“揺らぎ”みたいなところが一人ひとりに表現されていたように感じます。人物を描くにあたって、どんな部分を大事にしていましたか?
自分も含めた高校時代の友達や、その時につるんでいたグループのメンバーたちがベースにはあります。ですが、そのままだと面白くないので、それぞれの背景や境遇などを想像していろんな人の要素をミックスさせながら考えていきました。あと、フィクションのキャラクターなので、何のリファレンスがなくとも自分たちの足で立つような感じにしていけたらと。
――映画のなかで自然とそれぞれが歩いていくような。
フィクションで書いたキャラクターなのにも関わらず、それぞれの境遇とマッチするような役者の方々が奇跡的に見つかったんです。さらにあの5人がすごく仲良くなるっていう。本当にいろんな偶然が重なってできている映画です。
――役者さんとの出会いもキャラクターに反映されたり?
役を書き換えてはいませんが、セリフを言いやすくしてもらうなどはしていました。架空のキャラクターなので与えているセリフではありますが、架空の状況の中で本当に自分らしく生きてくれと思っていましたし、「自分らしく居ることが演技なんだ」という演出の方針をとっていたので。
例えば、「さよなら」とか「ばかやろう」というセリフ1つでも言い方で全然変わってくるんです。別れ際に泣くタイプの人もいれば笑う人もいるし、なにも表情に出さない人もいる。そういう部分はその人ならではの生き方が滲み出てくるので、「もしこの条件に置かれたらどうなるのか」ということを考えて、イメージと合わない場合はむしろ状況の方を変えるというような形をとっていました。
――人物を演じるうえで大事にしていた部分だったんですね。
例えば、友達と喧嘩するシーンで、いい具合に友達と喧嘩しているイメージがわかないと思ったら、「親と喧嘩してるようにやってみてください」と伝えるんです。そうすると、少しずつ芝居が変わってくる。そういう形で、本当に彼らのまま、あの場所で生きられるような環境を作っていきました。
――マスコミ試写で作品を拝見した際に、劇場内で自然と笑いが起きていたのが印象的でした。映画の中にはユーモア的な視点もいろいろと散りばめられていたように感じましたが、空監督はユーモアをどんなものだと捉えていますか?
自分が日々生きている中で、いろんなものに対して笑ってしまうみたいなセンサーがあるんです。生活の中で不意に面白いことに目がいってしまうというか。なので、そういうシーンに遭遇したときはメモに残したり写真を撮ったりしています。
――そうして日々見てきた要素を、意図的に作品の中に落とし込んでいったと。
そうですね。街を歩いているとそういうシーンが目に留まるので、ふんだんに入れたかったんです。でも、試写で笑いが起こっていたと聞いてホッとしました(笑)。ユーモアって、映画の本質的な部分と関わってくるような感じがしているし、すごく難しいものだと思うので。
例えば、サイレント映画の時代のチャールズ・チャップリンとか、バスター・キートンとかのフィジカルなコメディは、映画の本質を捉えてるのではないかと思うんですよね。本当に起きていることを見た衝撃と、そこから生まれる笑いみたいなものが。あと、ジャック・タチやエルンスト・ルビッチなどのユーモラスで軽やかな作品もすごく好きで。
――作品の中にグッと入り込みつつも、時々ふと気が抜ける瞬間のバランスが体験としても面白かったです。
実は僕、すごく悲観的な人間で、毎日いろんなニュースを見ては絶望しているんです。でも、人間って面白いじゃないですか。ドラマ映画でも、ドラマティックなことが起こっているさなか、きっとユーモラスなことも起こりうるのではないかと。
――そうですね。そういう視点を持って世の中を見ることも大事だったりします。
日常では思いもしなかった出来事が本当に起こるし、それが人生なんじゃないかなって。その要素を映画のなかに入れたかったんです。
パレスチナで起きてる現状の映像を見ていると、若者たちが皮肉を込めて、イスラエル軍の兵士を茶化したりしている動画も出てくるわけです。今のような状況下でも、まだ笑おうとしているというのは、本当に強靭な精神を持っているし、今のパレスチナ人たちにとっては、それが1つの抵抗でもあるような気がしていて。それが人間の本質を表してるものだと僕は思っています。
――今回、初の長編劇映画を撮り終えて、その映画がさまざまな映画祭で上映され、まもなく日本でも劇場公開を迎えます。映画に対する想いや考えになにか変化はありましたか?
多くのお客さんに映画が届く様を体験していますが、いろいろと複雑な気持ちがあります。
――と、いいますと?
試写会の後に「映画を観て、しばらく話していない友人に電話してみた」という話を聞いて嬉しく感じると同時に、映画祭で映画が消費対象の商品のように扱われてる現場も見ていて。映画はビジネス的な側面もあるのでしようがない部分もありますが。
――その複雑さも、映画を作って公開されるからこそ感じられるものですよね。
もちろん。もともと僕は映画を観る側だったので、これまではお金を払って映画と対話するだけだったんですけど、作る側になると、仕事の側面や消費対象としての映画というリアリティもすごくたくさん出てくるのだなと感じました。悪いことではないのですが。
――では最後に。本作の中で、揺らぎながらも自分で考えて、どんどん行動していく姿に勇気をもらったのですが、自分を信じていくには何が必要だと感じていますか?
それがわかったら嬉しいですけど、正直僕も自分をあんまり信じてないんです。でも、譲れないレッドラインみたいなものはあります。
――レッドライン。
例えば、虐殺に対して「人を殺すな」と怒ることは普通だと思うのですが、今の生活をしていると、 普段の生活が人質にとられて「人を殺すな」という当たり前なことが言えなくなってくる歪んだ世界に生きていると感じていて。自分の中で守り通すレッドラインみたいなものがあったら、それに接触したときは行動するみたいな踏ん切りがつくと思うんですよね。
――なるほど。
今は本当にパレスチナのことが毎日頭の中にありますが、そういうことに対して行動を起こして声を上げていくということも、思い返すと映画から教えてもらっているんです。映画とは人間性や人間の尊厳を描いているメディアだと思うので、人間性が奪われるような出来事が起こったら、それに抗っていくしかないということは映画から学んだような気がしています。
――観た映画やこれまで経験してきたことが、行動に繋がっていると。
でも、無理に自信を持たなくてもいいと思うんです。わからないままでも、なんとなくこれが正しいんじゃないかと思うことをやっていって、間違えたら軌道修正をして、謝って。そしてもう1度やってみればいいのではないかと。自信がなくてもとりあえずやってみて、それがよかったら、だんだんと自分の自信に繋がっていくんじゃないかなと思います。
02作品情報
『HAPPYEND』
2024年10月4日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開
(あらすじ)
今からXX 年後、日本のとある都市。
ユウタとコウは幼馴染で大親友。いつもの仲間たちと音楽や悪ふざけに興じる日々を過ごしている。こんな幸せな日常は終わらないと思っていた。
高校卒業間近のある晩、いつものように仲間と共にこっそり学校に忍び込む。そこでユウタはどんでもないいたずらを思いつく。「流石にやばいって!!」と戸惑うコウ。「おもろくない??」とニヤニヤするユウタ。
その翌日、いたずらを発見した校長は大激怒。学校に四六時中生徒を監視する AI システムを導入する騒ぎにまで発展してしまう。この出来事をきっかけに、コウは、それまで蓄積していた、自身のアイデンティティと社会に対する違和感について深く考えるようになる。その一方で、今までと変わらず仲間と楽しいことだけをしていたいユウタ。
2人の関係は次第にぎくしゃくしはじめ…。
監督・脚本:空音央
出演:栗原颯人、日高由起刀、林裕太、シナ・ペン、ARAZI、祷キララ、中島歩、矢作マサル、PUSHIM、渡辺真起子、佐野史郎
製作・制作:ZAKKUBALAN、シネリック・クリエイティブ、Cinema Inutile
配給:ビターズ・エンド
© 2024 Music Research Club LLC
公式HP:https://www.bitters.co.jp/HAPPYEND/
X:@HAPPYEND_mv
Instagram:@happyend.movie
photo:宇田川俊之
interview&text:Sayaka Yabe