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Do it Magazine濱口竜介さんの映画が好きなポイントはいくつかあるが、一つはそのバランス感だ。どこに着地するか分からないストーリーテリングと、それを彩る不穏な会話。そして、本来はどこか腑に落ちるところに着地して欲しい、という観客の視線を裏切り続け、違和感満載のゴールを決めた後、何故かそこにカタルシスがあるというのが、(少なくとも自分の)好きなところだ。
そこに至るには、些細な言葉のズレや、音楽、ギミックのようなカメラワークがあり、そもそも「これは映画ですよ台本ですよ」ということを知らせる幾つかの記号があり、それでいてそれを映画として、他人事として見ることのできないインプロヴィゼーションのような台詞回し、演出がある。
それにおいて現実離れしてるギリギリの設定や落とし所みたいなものが、自分たちの生活から離れず、そのギリギリの手綱で繋がれることで、自分たちの生活すらをも塗り替える新たな視点を提供してくれること。そのバランス感が大好きだ。
濱口さんの映画論はいくらでも書かれているだろうから、(彼のことをとっても好きだということは伝えたいけれど)新作『悪は存在しない』を観た時に、思い出した自分の話(無駄話)を一つ話したい。そもそも、ここはそういうことを話していい場だと聞いている。
土砂降りの日。
傘を傘立てに挿してコンビニに入る。あれやこれや長いこと何を買うか検討する。店の中にはカップルがいて、アイスコーナーの前でどのアイスがいいか悩んでいる。
出る時に、傘立てを見ると、自分のとは少し柄の形が違うビニール傘が2本しかなくて、店の中にはまだ、あのカップルが2人会計に並んでいる。
どうやら、自分の傘は誰か別の人に持っていかれたらしい。
との推測を立てた時、
あなたなら、明らかに自分のとは少し形状が異なるビニール傘を持って外に出るだろうか、
それとも仕方ないと考え、傘を持たずに店を出るか?
自分はあれこれ悩んだ挙句、傘を持たずに濡れて帰ることを選んだ。
あれこれ悩んだのは以下の内容だ。
入り口の前でカップルの会計が終わるのを待っておいて、出てきたところカップルに話しかけてみるのはどうだろうか。
「僕、ここに傘挿してたはずなんだけど、気づいたら一本足りなくて、これ誰かに持っていかれている可能性があって困ってます」そう言って、笑いながら話しかけてみる。
すると、アイスコーナーで爽を選んでいた彼氏はこう言うんじゃないだろうか。
「え!それは大変ですね!僕、全然安い傘だし、家近いんでふたりで一つの傘差して帰りますよ!お兄さんが濡れても大変だし」
隣にいるサクレを選んだ彼女も、こっちを向いて頷く。
すると、俺は途端に申し訳なくなって、こう返すんじゃないだろうか。
「いやー、それも申し訳ないです。多分僕の方が家近いと思いますよ!全然、濡れてもいい服なんで、大丈夫です!お二人でお使いください!」
ここで問答を続けることも申し訳なくなった私は、土砂降りの雨の中を走り出していく・・・
こうした結末は、まだ良い方で、私から話しかけられた彼氏は私のことを恨むかもしれない。
「なんでこいつ、こんな愚問を俺に吹っかけてくるのか。お前の傘が盗られたんだからお前の不幸を恨めよ。
こいつまさか俺がはいはいどうぞ!と自分の傘を差し出すことを期待してるんじゃねえだろうな。だとしたらとんだ甘ったれだぜ。」
そうは思いながらも、彼氏とて彼女と2人でいる手前そんなことも言い出せずに、どうしようもない沈黙が3人の間を流れていくかもしれない。
雨はしきりに強さを増し、そんな彼の頭の中を想像した私は「すみません!」と叫びながら、土砂降りの雨の中を走り出していく・・・
とここまで考えた結果、どう話したとして、これは何も関係ないカップルを巻き込むことになる。
もしくは、私が新しい加害者として、彼らの前に現れることになると考えた。
私は何も話さずに、傘を持たず、歩き出すことを決めた。
勿論、そこにある傘を持ってコンビニを出る選択肢も無かった訳ではない。
ただ、自分がまた誰かの傘を盗ると、「悪」は連鎖してしまう。彼らカップルが知らずとも、私が間接的な加害者として、存在してしまう。
そんなことを考えると、どうしても「仕方がない」で他人の傘を盗ることはできなかった。
すごくシンプルな話だ。他人に傘を盗られたからといって、誰かの傘を盗る必要はない。
こんな風に「悪」は連鎖していく。
濱口さんの新作『悪は存在しない』の劇中で述べられてるように「水は高い方から低い方に流れる」。誰かが犯した過ちは、いずれ自分の元に降りかかる。
傘を盗られてしまったという私にとっての不条理は、カップルにとって知らない男に傘を盗られてしまうという不条理を、または形を変えて見ず知らずの他人に傘の件で話しかけられてしまうという不条理を、生むかもしれない。
あの時下した選択は、そんな連鎖を断ち切ったように思える。
しかし、これは私の映画だ。私の目が切り取ったリアリティでしかない。
そもそも傘を盗った人物は「悪」なのだろうか?
大事な人に借りた服を着ていて、絶対に汚してはならない状況のもと、たまたま駆け寄ったコンビニでスコールに打たれ、傘も売ってない店内で私の傘を発見したとしたら?
その人もまた何処か違うところで傘を盗られていて、その人も苦渋の決断のもと、私の傘を盗ったのだとしたら?
そんなことを想像すると、一概に「悪」と定義できなくなる。そもそも私は私の目で切り取った世界しか観ていない。
『悪は存在しない』では様々な立場の葛藤が(できるだけ)平等に描かれる。
平等な視点など存在しないけれど、この映画はできるだけそうしようとした痕跡が見られる。
グランピング施設を小さな村に建設しようとする芸能事務所が、村人に対して行う説明会の後のシークエンスでは、その「建設する側」である事務所の内部の話が描かれる。
コロナ禍で事務所そのものがのっぴきならない状況の中、「グランピング建設」は助成金を貰うために苦し紛れで行ったことであること。
そして、またその説明に行った事務所内の2人も社長の命を受けて、嫌々ながら村に向かっていたこと。
そんな様々な「建設する側」の事情が描かれる。
あらゆる立場を想像していくことで、「悪」というものは、一視点上は存在したとしても、存在し得ないものになっていく。
ラストのシーン。主人公「巧」の衝撃的な行動の最中、辺り一面に霧が立ち込め、不穏な映画は不穏なまま幕を閉じる。
「悪は存在しない」とは永遠に続く問いの中を生きることのように思う。
そして、あの霧の中を私も生きている。
あのビニール傘を、私はどうすればよかったのだろう?
そんなことが分からないように、大概のことは分からない。
ただ、色んな立場を想像することが唯一私にできることだ。
そしてとてもめんどくさく、生き辛い道でもある。
それでも私は(少なくとも)何かしらの「悪」を安易に規定して生きるより、色んな立場を想像することで、「悪」が何かも分からなくなるめんどくささの中に生きていたい。
どれだけ生き辛さが自分に降り掛かろうと、「悪は存在しない」との態度を貫くこと。できる限りの想像をし、果てしない躊躇いの中に身を置くこと。そうして選び取った世界はあの映画のように不穏で不気味なものかもしれないが、全てが解決していて(ように見えて)、明快な世界より、余程生きる価値があるように思うからだ。
そして、その視線において、あの映画と接続しているように思うのだ。
<あらすじ>
⻑野県、水挽町(みずびきちょう)。自然が豊かな高原に位置し、東京からも近く、移住者は増加傾向でごく緩やかに発展している。
代々そこで暮らす巧(大美賀均)とその娘・花(⻄川玲)の暮らしは、水を汲み、薪を割るような、自然に囲まれた慎ましいものだ。しかしある日、彼の住む近くにグランピング場を作る計画が持ち上がる。コロナ禍のあおりを受けた芸能事務所が政府からの補助金を得て計画したものだったが、森の環境や町の水源を汚しかねないずさんな計画に町内は動揺し、その余波は巧たちの生活にも及んでいく。
<キャスト・スタッフ>
大美賀均 ⻄川玲
小坂⻯士 渋谷采郁 菊池葉月 三浦博之 鳥井雄人
山村崇子 ⻑尾卓磨 宮田佳典 / 田村泰二郎
監督・脚本:濱口⻯介 音楽:石橋英子
製作:NEOPA / fictive
プロデューサー:高田聡 撮影:北川喜雄 録音・整音:松野泉
美術:布部雅人 助監督:遠藤薫 制作:石井智久 編集:濱口⻯介 山崎梓
カラリスト:小林亮太 企画:石橋英子 濱口⻯介
エグゼクティブプロデューサー:原田将 徳山勝⺒
配給:Incline 配給協力:コピアポア・フィルム 宣伝:uhuru films
2023 年/106 分/日本/カラー/1.85:1/5.1ch
© 2023 NEOPA / Fictive
『悪は存在しない』web:https://aku.incline.life/
『悪は存在しない』X:@Incline_LLP
Digital Single「Math Burger」Release:Streaming・Download
Instagram:@buubuu_ppt
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web:https://panoramapanamatown.jp/