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Do it MagazineDo it Theaterが今気になるシアターカルチャーをクローズアップしてお届けする[Do it Close-up]。 今回は、映画『あんのこと』(2024年6月7日(金)公開)の脚本・監督を務めた入江悠監督にインタビュー。「その人生を、ただ知りたかった」と話す入江監督に、本作の制作で大切にしていたことや、監督自身の社会や人との向き合い方についてお話いただきました。
『あんのこと』
2024年6月7日(金)新宿武蔵野館、丸の内TOEI、池袋シネマ・ロサほか全国公開
河合優実 佐藤二朗 稲垣吾郎 河井青葉 広岡由里子 早見あかり
監督・脚本:入江悠
配給:キノフィルムズ ©2023『あんのこと』製作委員
01インタビュー
――今作はある新聞の記事がきっかけで制作がはじまったとのことですが、どんなところに引き込まれて映画を作りはじめたのでしょうか?
コロナ禍で感じていた社会の空気感が、僕の中でわだかまりとなってずっと残っていたのだと思います。とはいえ、向き合って何か映画にしようとは思わなかったのですが、この作品のモデルとなった女性の記事を読んだ時に、社会にはこういう子がたくさんいたんだろうなと感じて……。そこから記事をより深く知るために取材を重ねていったのがはじまりでした。
僕自身もコロナ禍にいろいろな別れを経験したこともあり、そこと向き合わないと自分が映画監督をやっている意味がないなと思ったんです。
――これまでも社会の中でもがきながら生きている人たちを描いてきた入江監督ですが、今作での向き合い方はまた少し違うものだったのでしょうか?
自主映画を作っている頃からもがいてる人がすごく好きで、地面を這って生きているような人に関心がありました。善悪が判然としないような人が好きなんです。ただ、今回は初めて実話をモデルに、実在する方がいる内容でスタートしたので、これまで自分が作ってきた映画作りとは少し違う姿勢で向き合う必要があると思いました。
――脚本を書いていく中でいろいろな事実に触れていったと思うのですが、入江監督の考えや想いが変化することもありましたか?
そもそも「杏はどういう人なのか」ということをただ知りたいという気持ちだけで、「この作品をこうしていこう」という考え自体がまずなかったんです。もしかしたら新宿や池袋ですれ違っていたかもしれない、この“杏”という人が本当にわからなかった。どういう生い立ちで、どういう環境で育って、なぜ覚せい剤や売春から抜けられなくなっていったのか。さらに、それを断ち切って、どのようにもう1度学校で学び直していったのか。その人生を、ただ知りたかったんです。
――その“知りたい”という思いが重なっていき、脚本になっていったと。
そうですね。脚本もある程度時系列で作っていき、自分の解釈みたいなものはなるべく省いていきました。2020年に感じていた空気感は入っていると思いますが、「こういう風に見つめていこう」という視点は持たず、事象もなるべくフラットに捉えていくようにしました。
――知れば知るほど、フラットさを保つことは難しくありませんでしたか?
難しかったです。なので、家庭内暴力や薬物依存のことを調べて、当事者の方に取材をし、いろいろなことを教えてもらいました。自分が持っていた先入観をどんどん壊してもらうようなプロセスを踏んでいきましたね。
――さまざまな事実や現状を知っていくことで、揺らいでしまうものはありませんでしたか?
揺らぐことはありました。事件の記事にもあるんですけど、作品のモデルになっている方に決して聞くことができないんです。脚本を書いて、これで正しいのかどうか、そもそも映画にしていいのかどうかも聞くことができない。実話をベースにしていると言いつつも、勝手にこちらが押し付けてしまっている可能性がある。だからすごく揺らぎ続けていますし、正解があるのかわからないまま模索している感じです。
――その揺らぎは今もずっと続いているのでしょうか?
続いていますね。でも、杏を演じた河合優実さんと一緒に「杏はどういう人なのか」ということをディスカッションし、お互いに話しながらやり取りを重ねていくことで、徐々に人間像を掴めてくる感じがありました。そして撮影をしながら、彼女と一緒に歩いているような感覚になってきて、編集している中で、「こういう子だったんだろうな」というものがようやく見えてきたんです。
――そうだったんですね。
これまでの映画作りでは、オリジナルにしても原作があるものにしても、主人公に確固たる人間像があって、エンディングではこうなるという帰結が見えてから作り出すんですけど、 今回はそういう方法論が全く使えませんでした。そういう意味で考えると、映画監督として0からやり直すみたいなところがありました。
――杏もそうでしたが、佐藤二朗さん演じる多々羅や稲垣吾郎さん演じる桐野などの人物描写に引き込まれ、映っていない部分のそれぞれの人生も考えてしまう余白があったように感じます。それぞれの人物はどのように捉えていったのでしょうか。
もともと僕はノンフィクションの本を読むのが好きなんです。実際にあった事件の話やルポルタージュは、膨大な取材をして、事実を蓄積していって、そこからいろいろなものを省いて残ったものが1冊の本になっている。今回は、その作り方が近かったように感じています。
なので、映画としては最終的には残っていない“余白”みたいなところも結構作っているんです。それは、設定の段階で作っていたり、 実際に撮影したけれど使わなかったりしたところもあります。そういう画面外での時間が豊かにあったので、そういう風に感じていただけたのかもしれません。
――なるほど。ちなみにノンフィクションの本はどういったところがお好きなのでしょうか?
自分がフィクションの世界に生きていて、架空の登場人物で映画を作り、物語を紡いでいく世界にいるので、現実というものの強さをすごく感じるんです。現実には想像を絶するような事件があるし、とんでもなく魅力的な人がいたりする。なので、ノンフィクションの本はよく読んでいます。
――今作の映画を作るスタッフ・キャストの中では、どんなことを共有して何を大切に現場を作っていたのでしょうか?
同じ空気を共有することはなかなか難しいですけど、「杏ってどういう子なんだろう?」ということをそれぞれみんなで考えていくという現場でした。何か正解があって、それを共有するというよりも、いろいろな方向から「どういう子なんだろう?」ということを一緒に考えていく姿勢を持つ形で制作していきました。映画がどこで終わってもいいし、どういうトーンで撮ってもいい。究極、セリフがなくてもあってもいいみたいな。
――それぞれの方向から「杏」のことを見つめる作業のような。
そうですね。そして、映画が完成してからも、きっとそれぞれ見え方は違うと思うんです。「多々羅と桐野が杏の人生を搔きまわしたのではないか」と見る人もいるし、「束の間でも、ああいう風に3人が繋がって、幸せな時間を共有していたのがいい」と見る人もいる。そんな風に、いろいろな見方があっていいと思っています。
――少し話が変わりますが、杏のように自分ではどうしようもない状況になってしまった場合、入江監督はどういう行動をとると思いますか?自分でどうにかしようとしますか?それとも周りに助けを求めますか?
おそらく、助けを求められないのではないかと思います。
――それはなぜでしょうか?
一般論としてですけど、問題の在り処が見えていたらある程度解決の糸口は見えてくると思うんです。でも、世の中はそんなに単純にできていないので、多くの場合「何が問題かが見えていないこと」が問題になっている。「なんとなく息苦しい」とか「なんだか不自由だ」みたいに感じている時は、「ここが問題なので助けてください」とはなかなか言えないですよね。僕もずっとモヤモヤを抱えながら生活してますし。
――確かに、いろいろなことが複雑に絡み合ってしまっていることも多いですよね。
20代の頃は順を追って紐解いていこうとしていたこともありましたが、年を重ねると余計なことはしないようになってきていますし。あまり他の方にはおすすめしないですけど、「嫌なことから逃げていくこと」も1つの方法なのではないかと思っています。それこそ、学校とか会社とか家族関係や人間関係とか。僕も昔から集団が苦手だったので、どんどん逃げて快適なところへ向かっていきましたし。
――その場から離れることも1つの選択肢ですよね。
あと、これは作っている途中で気が付いたんですけど、杏は責任感が強い人なのかもしれないなと思ったんです。責任感があるからいろいろなことを引き受けて、溢れてしまう。もしもすぐに逃げられる人だったら、もう少し自由奔放に生きられたのかもしれないなと感じたんですよね。
――なるほど。
いろいろなことに押しつぶされて苦しむくらいだったら、全てを放り投げて逃げてでも、その人自身が快適に生きていられればいいなと。ただ、誰にでもおすすめできることではないのですが。
――杏という人間のことを考えて作品を作り、『あんのこと』と向き合って、入江監督はこれからの社会にはどんなことが必要だと感じましたか?
僕も会社員ではないですし、映画関係者もフリーランスの人が多いので、集まることを禁じられるとすぐに個々が分断してしまうような気がしています。他方で、これは映画の世界だけでなく、会社員も学生の人もそうだと思うんですけど、今の世の中は昔よりも孤立しやすくなっている感じがある。それはなぜかと考えたときに、1つはお節介な人が少なくなったからだと思うんです。
――確かに、人の世話を焼いたり介入したりしてくる人は減ってきたように感じます。
『あんのこと』でいうと、例えば多々羅みたいな人ですかね。もちろん、裏で悪いことをしていた場合は社会的に制裁を受けると思いますが、何かあるとすぐに“叩かれるのではないか”みたいな空気もある。そうすると人に介入することが怖くなって、連帯しにくくなっているところもあるのではないかと感じています。
――SNSの発達も相まって、連絡をとるのも迷ってしまうこともあります。
僕もコロナ禍に連絡をとることが途絶えてしまい、友人を亡くしてしまうという後悔もありました。たとえ迷惑がられても、あの時連絡するべきだったのではないかと考えることもあります。「空気を読む」みたいなことに少し過敏になりすぎてる感じはあるかもしれません。この先も、どんどん社会の分断化は進んでいくと思うんですけど、「ゆるやかな連帯」みたいなことはテーマとして見ていきたいと思っています。ミニシアターでも、すごくゆるやかな連帯がスタッフさんと観客の間にありますし。
――町の銭湯とかもそういう場所や空間になっていますよね。
そうそう。知らない人同士でも、同じ空間に行っているとなんとなく話したりするようになってくるんですよね。銭湯やミニシアターは民間の施設ですが、公共空間みたいなところでもっと増えた方がいいのではないかと思います。
――確かにそうですね。映画でいうと、映画祭もそういう空間やコミュニティの1つになっているところもあるような気がしています。
以前、初期の作品を上映いただく機会があって、湯布院映画祭に参加したんです。上映後にお客さんや評論家と一緒にトークバトルをする時間があったんですけど、辛辣な質問がどんどん飛んでくるんですよ。2時間ぐらいレスポンスし続けたのですが、これまで自分が気付かなかった発見がどんどん生まれていくんです。終わった時はヘトヘトになりますが、濃密に1本の映画について語り合うような時間って今はもうあまりないような気がしていて。そういう場所や時間がもっとあってもいいなと思っています。
――映画『あんのこと』を通して、さまざまな対話が生まれていったら素敵ですね。
この映画を作り終わった時に感じたのは、制作期間を通して「こうだったんじゃないか」とか「私はこう思う」みたいに、1人の人間のことを連帯しながら考える時間の大切さでした。その先で、映画を観たお客さん同士でもコミュニケーションが生まれるかもしれないですし、場所や空間がきっかけで小さなコミュニティが生まれていくかもしれない。そういうことがこれからは必要になってくるのではないか、と思っています。
02作品情報
『あんのこと』
2024年6月7日(金)新宿武蔵野館、丸の内TOEI、池袋シネマ・ロサほか全国公開
(あらすじ)
21歳の主人公・杏は、幼い頃から母親に暴力を振るわれ、十代半ばから売春を強いられて、過酷な人生を送ってきた。ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた彼女は、多々羅という変わった刑事と出会う。大人を信用したことのない杏だが、なんの見返りも求めず就職を支援し、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく。週刊誌記者の桐野は、「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていた。ちょうどその頃、新型コロナウイルスが出現。杏がやっと手にした居場所や人とのつながりは、あっという間に失われてしまう。行く手を閉ざされ、孤立して苦しむ杏。そんなある朝、身を寄せていたシェルターの隣人から思いがけない頼みごとをされる──。
出演: 河合優実 佐藤二朗 稲垣吾郎
河井青葉 広岡由里子 早見あかり
監督・脚本:入江悠
配給:キノフィルムズ
© 2023『あんのこと』製作委員会 PG12
公式サイト:annokoto.jp
公式X:@annokoto_movie
photo:宇田川俊之
interview&text:Sayaka Yabe