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Do it MagazineDo it Theaterが、現在注目のシアターカルチャーをクローズアップしてお届けする企画[Do it Close-up]。今回は、アキ・カウリスマキの映画館「キノ・ライカ」が作られる様子を追ったドキュメンタリー作品 『キノ・ライカ 小さな町の映画館』のヴェリコ・ヴィダク監督にインタビュー 。改めて浮かび上がる映画館の魅力やアキ・カウリスマキ監督との出会い、その背景にある物語をお伺いしました。
ユーロスペースほか全国順次公開中
北欧フィンランドの鉄鋼の町・カルッキラ。深い森と湖と、今は使われなくなった鋳物工場しかなかった小さなその町に、はじめての映画館「キノ・ライカ」がまもなく誕生する。自らの手で椅子を取りつけ、スクリーンを張るのは映画監督のアキ・カウリスマキと仲間たち。
キャデラックにバイク、ビールと音楽。まるでカウリスマキの映画から抜けでたような町で、住人たちは映画館への期待に胸をふくらませ、口々に映画について話しだす……。
01映画制作のきっかけ:アキ・カウリスマキ監督との出会い
――改めて、映画館という場所が持つ価値が浮かび上がってくる作品でした。まず、この作品を作ろうと思ったきっかけを教えてください。
この映画のきっかけにもなっているアキ・カウリスマキ(以下、カウリスマキ)監督には、2014年にベルリン映画祭で初めてお会いしたんです。その時にいろんな面白い話を交わして連絡先を教えてもらい、長年にわたって友情を育んでいきました。
その後、コロナ禍の2021年に彼らが映画館を作ろうとしているという話を聞きつけたんです。カウリスマキ監督と一緒に映画館を共同経営するミカ・ラッティさんに電話をして「映画館の映画を作りたい」と伝えたら、「どうぞ歓迎します」と言ってくださったので、航空券を買って駆けつけました。
ヴェリコ・ヴィダク監督 | 画家、映画監督。クロアチアのダルマチア・ヒンターランドで、学業と家族の農場での仕事を両立させながら育つ。ユーゴスラビア紛争中に大学の史学科に通いながらザグレブ大学芸術アカデミーを受験、同アカデミーを画家として卒業した。その後、奨学金を得てパリ国際芸術都市に研究員として滞在。映画でしか見たことがなかったパリのエネルギッシュな文化に魅了されてパリに永住することを決意する。 シネマテーク・フランセーズに足しげく通い映画への造詣を深めた。フランスや世界で個展を行いながら、パリの映画学校で映画制作を学び、短編、中編映画を制作。『キノ・ライカ 小さな町の映画館』は自身初のドキュメンタリー長編作品である。現在はパリ在住。
――カウリスマキ監督との長年のご縁が、この映画のきっかけになっていたのですね。
はい。世界中の映画館が閉鎖していっているさなか、小さな町で映画館をはじめようとしていることにすごく心を動かされました。(本作に出演している)ジム・ジャームッシュ監督も「これは勇気の賜物であり、また希望の賜物である」と話しているのですが、私も本当にそうだなと思って。そこからこの映画づくりがはじまりました。
――実際にカルッキラで撮影や取材をしていく中で、改めてカウリスマキ監督はどんな存在だと感じましたか?
映画プロデューサーとしても優秀な方だと思います。彼はとても聡明であり、物事をよく知っていて、建築やインテリアデザインについても長けている。何よりも、シンプルな暮らしに対して非常に敬愛を持っている方ではないかなと。
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――撮影が始まってからも、カウリスマキ監督とは頻繁にコミュニケーションを取られていたのでしょうか?
そうですね。私たちは非常にユニークで、他の人にはないような特別な関係にあったと思います。フィンランドで有名なユホ・クオスマネン監督からも、私たちの関係はすごくユニークで驚いたと言われました。今作で、私がカリスマキさんに「あちらに行ってください、こちらに行ってください」と演出をつけていたところ、「あんなにカウリスマキに近づけることはない」と驚かれたんです。これほど親しく関係を結んだ人はそんなにいないのではないか、とも言われました。
――どうしてそんなに親しくなれたのでしょうか?
カウリスマキ監督から、「あなたの眼差しがトリュフォーのような目をしているからじゃないでしょうか」と言われたんです。
――フランソワ・トリュフォー監督のようだと。
はい。カウリスマキ監督は人の真髄を感じとる力を持っている方です。人生経験もあり、直感も知性も持っている。だからきっと、誰かと出会ったら一瞬にして相手を見抜く直観力や判断力を持ってるのではないかなと思います。
02フィンランドと日本を繋ぐ文化
――映画の中で、「フィンランド語と日本語は似ている」という話が出てきました。カリスマキ監督の作品は日本でもファンが多く人気ですが、実際に日本に来て似ていると感じたことはありますか?
私はまだ少し、フィンランドと日本との関係や繋がりに対してつかみきれていないところがあります。ですが、最初にヘルシンキで短編映画を作った時に「フィンランドはヨーロッパの日本だ」と直感で思いました。
――どんな部分でそう感じたのでしょう?
美学的な感性や人と人の距離感。そして表情や感情の表し方なども近しいものがあるのかもしれません。南の人たちは手を使って大きなジェスチャーで表現しますが、フィンランド人も日本人もそうではないので。
あと、私の映画でも引用していますが、カウリスマキ監督は『ラヴィ・ド・ボエーム』という映画で日本人の篠原敏武さんが歌っている「雪の降る町を」という曲を使っています。当時この作品を見て、多くの人がフィンランド語の歌だと勘違いしたんです。そのときに、フィンランド語と日本語は似ているのかもしれないと感じました。
――いくつかの要素が重なり合って、共通するものが見えてくると。
カウリスマキ監督に大きく影響を及ぼしたのは日本の映画監督・小津安二郎だと言われています。おそらくカウリスマキ監督が若い頃に影響を受けていた人が、日本の文化の担い手だったというところも偶然ではないのかもしれません。カウリスマキ監督はきっと、小津安二郎の原理的な要素を掴んでいるのではないかなと。
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――それはどんな部分から感じますか?
例えば、小津安二郎監督の映画では、カメラに向かってまっすぐ正座しているシーンがあるんです。でも実際はカメラの真正面ではなくて、役者にちょっと横を見てもらっている。そうすることで、劇場で映画を見たお客さんはまるで自分のところをまっすぐ見られてるような印象を持つんです。そういったカメラアングルは、“人と人とがあまり直接的に繋がらない”という意味でも、日本文化の人と人との関係性を表しているようにも感じていて。おそらくカウリスマキ監督は、そういった小津安二郎監督の自然な眼差しなどからも影響を受けてるのではないでしょうか。
――面白いです。
また、篠原敏武さんの音楽も日本とフィンランドの架け橋となってくれています。音楽は映画と同じように国境を越える優れたメディアなので、篠原さんの音楽が普遍性をもたらし、人と文化を繋ぐ役割を果たしているのではないかなと。そういう意味でも、私の映画で日本の音楽を使えたことはベストだったと感じています。あと、国際的な視点を持つという意味では、ジム・ジャームッシュ監督のシーンを撮影できたことも、日本、ヨーロッパ、アメリカを繋いでいく要素になっているのではと思っています。
03映画館がもたらすコミュニティの力
――カルッキラに映画館ができることで、町で暮らす方々の熱量がどんどん上がっている姿を見て、映画館が生み出す豊かさを感じました。なぜ映画館ができることで住民の熱量が高まっていったのでしょうか?
映画の中でも映画館ができるということに対する期待や希望みたいなものがどんどん高まっていきますが、それは“映画を観る機会ができる”というだけではないと思うんです。コミュニティスペースができて、そこに人が集っていく。そして“わかちあえる居場所”ができるということが、この町を大きく変えたのだと思っています。
小さな町に行って、初めてものの価値がわかるということがあります。大きな都市では見失ってしまっているものの価値を再発見できるのではないかなと。
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――映画館が町を変えていくんですね。
そうですね。劇中に馬を飼っている女性たちが出てきますが、カルッキラを去ろうと思っていたけれど映画館ができることで町に残ることを決めましたし、クラシックカーを集めていた人も映画館ができることでヘルシンキから引っ越してきた。そのように、若い人たちがどんどんカルッキラへ移住してきたことで、町のムードがどんどん変わっていきました。この映画の中では、その期待が高まっている様子やムードみたいなものを捉えたいと思って撮っていきました。
――実際に撮影をしていく中で、監督が気付いたことや新たに見えてきたものもありましたか?
この映画はドキュメンタリーですが、小さな町で映画館がつくられる様子をフィクションの映画のようにセッティングをして撮っていきました。なので、テレビのスタイルとは相反するような手法を選んでいます。そのプロセスの中で、住んでいる人たちとどんどん親しくなっていきましたし、描きたいと思っていたストーリーに本質的な要素を捉えることができたと思っています。
また、カルッキラで撮影をしたことで、カウリスマキ監督の映画から発見したこともありました。彼の映画は、フィンランドやその現場が持つリアリティとそう違わないものをそのまま描いていたんです。フィンランドの生活や暮らしぶりを表現したフィクションであるにも関わらず、カウリスマキ監督はよりリアリティに近い撮り方をしている。フィクションを作ることで、より真実に近づけることができるということに気付きましたね。
04映画館が生き残るために
――世界中では小規模な映画館がどんどん閉館しているという現状があります。映画館の社会的な役割や、映画館が続いていくために必要なことなど、この映画を作り届けていくことで、監督はどんな変化が起こると期待していますか?
10月にアメリカで宣伝キャンペーンをしていろいろな場所を周っていたんです。そのときに、この状況や環境のなかでも、コミュニティシネマと言われるような小規模な映画館が生き残ろうとしている様子をたくさん目撃することができました。
――希望が見える動きですね。
先日、東京・青梅市にある「CINEMA NEKO(シネマネコ)」を訪れましたが、集まった人たちからは、映画館は映画を観るだけの場所ではないということへの問いかけや思いが高まっているのを感じました。そういう映画館があると世界を知ることにもつながりますし、知りもしなかった作品との出会いにより、自分を発見する体験が提供されるんです。
――これからの社会では、そういう場所がより必要になってくると。
最近聞いたフランスの興行収入の成績ではシネコンの数値が下がっている一方、アートハウス系の映画館は維持していて変わっていないという数字が出てるそうです。今作を上映している「ユーロスペース」もそうですが、“映画とは何なのか”をしっかり考えている人たちが観客を育て、映画への信頼を持っている観客がどんどん生まれてきている。そういうことが、映画館や映画自体を生き長らえさせる原動力になっていくのではないかと思っています。
05作品情報
ユーロスペースほか全国順次公開中
北欧フィンランドの鉄鋼の町・カルッキラ。深い森と湖と、今は使われなくなった鋳物工場しかなかった小さなその町に、はじめての映画館「キノ・ライカ」がまもなく誕生する。自らの手で椅子を取りつけ、スクリーンを張るのは映画監督のアキ・カウリスマキと仲間たち。
キャデラックにバイク、ビールと音楽。まるでカウリスマキの映画から抜けでたような町で、住人たちは映画館への期待に胸をふくらませ、口々に映画について話しだす……。
監督・脚本・撮影・編集:ヴェリコ・ヴィダク
脚本:エマニュエル・フェルチェ
出演:アキ・カウリスマキ、ミカ・ラッティ、カルッキラの住人たち、ジム・ジャームッシュ、ヘッラ・ユルッポ、マウステテュトット、ヌップ・コイヴ、サイモン・アル・バズーン、ユホ・クオスマネン、エイミー・トービン
2023年/フランス・フィンランド/81分/2.00:1/DCP/フィンランド語、英語、フランス語/原題『CINEMA LAIKA』
配給:ユーロスペース 提供:ユーロスペース、キングレコード
ヴェリコ・ヴィダク監督
画家、映画監督。クロアチアのダルマチア・ヒンターランドで、学業と家族の農場での仕事を両立させながら育つ。ユーゴスラビア紛争中に大学の史学科に通いながらザグレブ大学芸術アカデミーを受験、同アカデミーを画家として卒業した。その後、奨学金を得てパリ国際芸術都市に研究員として滞在。映画でしか見たことがなかったパリのエネルギッシュな文化に魅了されてパリに永住することを決意する。 シネマテーク・フランセーズに足しげく通い映画への造詣を深めた。フランスや世界で個展を行いながら、パリの映画学校で映画制作を学び、短編、中編映画を制作。『キノ・ライカ 小さな町の映画館』は自身初のドキュメンタリー長編作品である。現在はパリ在住。
公式サイト:eurospace.co.jp/kinolaika
© 43eParallele
photo:Cho Ongo(@cho_ongo)
interview&text:Sayaka Yabe